『歌碑』 湖畔の宿


平成元年「湖畔の宿」記念公園がオープンし、
この地に建立された。
感傷的な歌詞のため、戦時下では発売禁止ともなった、
歌である。
また、この歌に歌われた湖が榛名湖と判明したのは佐藤 惣之助の手紙からである。



♪♪♪
湖畔の宿


作詞 佐藤 惣之助
作詞 服部  良一
歌手 高峰 三枝


山の寂しい みず湖に

ひとり来たのも 悲しい心

胸のいたみに たえかねて

昨日の夢と 焚きすてる

古い手紙の うすけむり




名曲「湖畔の宿」作詞者、佐藤惣之助の紹介記事
平成元年1月28日 夕刊フジより
 ”歌う女優”高峰三枝子さんが、28、29の両日、東京・新宿コマで2年ぶりのコンサートを開く。 昨年暮れ、古稀を迎えた高峰さんだが、その”気品ある美貌”は衰えを知らず、肉体的にも元気 いっぱいで、往年のヒット曲に最近の「恋は花いろ女いろ」まで前28曲を出ずっぱりで歌いまくる。 それも、いきなり真っ赤なドレスで登場、タイトなドレスに脚線美もみせるというからびっくりだか、 高峰さんといえば、忘れられないのが「湖畔の宿」。佐藤惣之助の詞に服部良一が曲をつけた昭和15 年の大ヒット曲だ。

 「もう何千回と歌ってきた曲ですが、いま
でも、二番と三番の間にはいるセリフのところに来ると 胸がジーンとなって涙があふれそうになるんです。」(高峰さん)

 「湖畔の宿」は、その感傷的な詩とメロディーゆえに、戦時体制下にふさわしくないレコードとして、 いったん発売中止になったが、前線の兵隊たちのあいだで愛唱されてヒット。ビルマのバー・モー長官が、 来日したおり、時の総理、東条英機に、この歌をジカに聴きたい、と所望した話は有名だが、前線慰問の さいも兵士たちのリクエストが最も多かったのが、「湖畔の宿」だった。なかに特攻隊として出撃する 直前の若者もいて、直立不動で手を握りしめて聴いていた彼らの姿が、<この静けさ この寂しさを抱きしめて 私はひとり 旅を行く だれもうらまず みんな昨日の夢と あきらめて・・・>のセリフにかぶって 胸をしめつけるのだという。

 このセリフ、作詞の佐藤惣之助が、女優・高峰の魅力を生かすべく、とくにつけ加えられたものというが、 西条八十のいうように大衆の心をとらえて離さない、心憎いほどの名文句、名調子ではある。

 <山の淋しい湖に>の出だしもいいが、佐藤が”一人行った”のは、どこの湖だったのか。

 これまで、長野県・諏訪湖、静岡県・浜名湖、山梨県・山中湖など諸説があり、高峰さんは勝手に 好きな芦ノ湖を想定して歌ってきたそうだが、昨年2月、佐藤自身が亡くなる直前に書いた手紙がみつかり、 群馬県の榛名湖であることが明らかになった。

 手紙は、当時(昭和17年)榛名湖畔の旅館「湖畔亭」で働いていた、お気に入りの仲居さんにあてたもので、 そこには「『湖畔の宿』は榛名湖のことではあるが、あの中のことは全く夢だよ。ああいう人もあるだろうと おもったので書いたもの。宿は湖畔亭にしておこう」とはっきり記されている

 佐藤は釣りが好きで、全国を歩いているが、榛名湖は先妻を亡くしたあと一緒になった萩原朔太郎の妹、 愛子さんの実家が前橋だった関係でよく遊びにいっており、湖畔亭は常宿だったらしい。

 「湖畔の宿」のモデルが榛名湖に確定したことで、地元群馬県では、「歌碑公園やモニュメント、 野営音楽ステージなどの施設をつくり観光にも役立てたい」と榛名町を中心に実行委員会を設置。今年の10月 完成をメドに新年から具体的準備にはいっている。「除幕式には服部先生ともども招待されているんです。 私は女優で、歌は余技、という姿勢でやってきましたが、最近は歌があってほんとによかった、と思っています。」




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