『歌碑』喜びも悲しみも幾年月



映画「喜びも悲しみも幾年月」が石狩市でロケが行われ

それにちなんで歌碑が建立された。






喜びも悲しみも幾年月

作詞 木下 忠司
作曲 木下 忠司
歌手 若山  彰

おいら岬の 灯台守は

妻と2人で 沖行く船の

無事を祈って

灯をてらす 灯〜をてらす 

「喜びも悲しみも幾歳月」に纏わる話
北海道一の大河、母なる石狩川がその旅を終えるところ。そしてその河口に石狩灯台があります。高さ13.5メートル、光達距離23.1キロメートルのこの灯台は、明治25年に点灯されました。当時は木造の六角形の灯台で職員は2名。その後昭和40年に無人化。同41年に鉄製の円形に改築されました。

この石狩灯台が舞台の一こまとなっている映画が、今は亡き映画界の巨匠木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾歳月」です。昭和32年の映画で、高峰秀子と佐多啓二扮する有沢夫婦の灯台守としての半生を描いたものです。戦前・戦中・戦後の25年間、日本各地の灯台を回った2人の愛情と仕事の崇高さがテーマとなっている映画です。内容もさることながら「お〜いら、み〜さきの」と歌われる主題歌もまた大ヒットしました。もうだいぶ古い映画ですが、最近テレビCMで復活(?)した、オードリー・ヘップバーンのあの夢とあこがれに満ちた映画「ローマの休日」が昭和27年のものでまだまだ人々を魅了しているのですから、単に古い映画ということだけで過去帳入れにすることはないと思います。

映画は新婚の灯台守有沢青年が、妻を連れて勤務地である神奈川県の観音崎灯台に戻ってきた場面から始まります。そして、この次の赴任地がここ石狩灯台なのです。遠くに増毛の山をバックにしたこの灯台の風景は、現在を彷彿させるものがあります。ここで2人は、2人の子供を授かります。最初は長女。産婆が来るのが間に合わず、有沢が子供をとりあげたという設定になっています。そして次が長男。一方で、有沢夫婦は同僚の妻の死に直面します。この石狩灯台の場面では、雪に明け暮れる冬の情景と、主人公一家が船でこの地を離れる真っ青な空のシーンがとても印象に残ります。
このあとも有沢夫婦は、日本各地の灯台に勤務します。各灯台にロケが行なわれており、決して手抜きをしない完全なものを作ろうとする製作者の意欲が感じられます。また名も知らない小さな島の風景(たとえば女島という離島をご存知でしょうか)、これはとても印象に残ります。
灯台守りの仕事は、孤独で地味な仕事です。船に乗っている人々の命にもかかわる一方で、穏やかな夜の暗い海を見つめていると、自分の仕事が役立っているのかジレンマに陥ることもあるそうです。さらに人里離れた灯台の勤務地は、大多数のところが1人勤務で、もくもくと単調な日々を過ごすことになります。ところが、吹雪や台風の場合には、自分の生命を危険にさらすことにもなるのです。
有沢夫婦も、こういった暮らしをしていきます。過疎ゆえの子供の教育の悩みもありました。そして、この世代の人々が誰でも直面せざるをなかった悲惨な戦争。灯台も爆撃の標的になったのです。こうした中で、愛情深く家庭を築いてきた有沢夫婦ですが、最大の悲劇が起ってしまいました。大学入試に失敗し、やけになって不良仲間とつき合っていた長男が、仲間に刺し殺されてしまうのです。しかし、勤務に就いていた有沢は、その最期の時にも立ち会うことができなかったのです。有沢は、ただ船の安全だけを考えて過ごしてきた仕事一辺倒の生活が、このような結果になってしまったことを嘆くのです。
一方長女は、戦争中に知り合ったレストラン経営の裕福な一家(彼らは、戦争中有沢の勤務地に疎開していたのです)に預けられ成長していきます。そして貿易会社に勤めるここの長男と幸福な結婚をすることになります。結婚後まもなく、2人は夫の赴任地(エジプトのカイロ)へ向かいます。そしてこの豪華な客船を、有沢夫婦は灯台(台長として勤務していた、静岡県の御前崎灯台)から霧笛で見送り、客船もこれに霧笛で答えるというシーンになります。灯台の明かりと霧笛が響き会うクライマックスシーン。ここで有沢は言います。「あの子はわしがとりあげたんだ。」と。

しかし、この映画でもっとも印象に残った場面は最後のシーンでした。ここでは、灯台を遠くに望み、荷物を持った有沢夫婦が語らいながら歩いていきます。BGMには、あの印象に残るテーマソング。せりふは聞こえませんが、きっとこんなことを言っているのでしょう。「あんなことがあったな。」「こんなこともあったわね。」「お前あの時あんなことをしただろう。」「あなただって、そんなことをしたじゃない。」さまざまな人生の思い出、その中には仕事の苦しみや喜びがあったでしょう。また、最愛の長男を失った悲しみ、幸福な結婚をした長女への喜び。2人にはさまざまな思いが蘇っているのでしょう。この作品を見ている人は、ここで「喜びも悲しみも幾歳月」という映画の題名を噛み締めるのです。  石狩市のHP

エピソード

・石狩灯台は、もともと白一色の灯台でした。ところがこの「総天然色映画」(当時はカラーとは言わなかった)の撮影のために、赤と白の縞模様に塗り替えられてしまったのです。雪と同じ白一色の灯台では、「総天然色」の映画では効果が出なかったからです。ところが、この赤白の灯台は目立つので評判がよく、その後積雪の多い地方では順次採用されることになったのです。まさに、「ひょうたんからこま」といったところでしょうか。なお、この赤白の縞模様、塗り替えられる度にその位置が変わっているそうです。