『温故知新』のページ

このページは私の祖父が明治の末に東京見物をした時の記録『江戸のみやげ話』を転記したものです。
文字が達筆で、さらに崩されており中々解読できない部分は??にて表示してあります。
原文にできるだけ忠実に記載しております。

時・・・・・明治四十二年春四月
記録・・・・・17日記


四十二年四月十四日午前八時頃、名古屋ステーションを出発、善光寺に向かう、全?者百二三十名。
新橋七時頃着、電車で上野え行く、二分して井筒や東津館と泊る。翌十五日朝上野出発して17日午後三時帰着。さて電車で江戸川浩次郎宅え来る。
翌十八日より江戸見物。

十八日

朝八時?家を出て下宮比町一番地中野源次郎宅へ向ふ、道??、即ち江戸川の岸まで八重桜今を盛りと咲く
中野にて朝飯を食し名古やの話出でたり、一膳飯しやなれど月々
七百円内外の収入と家賃十七円て驚く九時?家出発、飯田橋(ドンゝゝ橋)渡りて神東町下牛込見付上りて九段に出づ、坂上より市を見下ろして後
品川子爵銅像及川上大将銅像を見る川上大将除幕式当時の話を聞きつゝ大村益次郎銅像を仰ぎ見る招魂社参拝戦利品を覗見て遊就館に入る、建築の大なること珍しきものゝ多き、小舌を巻く出でゝ九段坂を下りニコライを見るデカイのと珍ふ建築にビックリ、さて、駿ヶ台から電車で内幸町まで日比谷公園、國会議事堂、公使館、海軍省、裁判所、司法省参謀本部、陸軍省、二重橋、楠公銅像、馬場先門等をくるゝゝ見て電車に乗り芝増上寺前にて下車をし増上寺焼跡、芝公園を廻りて愛宕山に登る、階段八十五あり??男坂を上り帰りに女坂を下る。善光寺詣りの同伴者仲間と?下で逢ふ。
新橋ステーション,銀座通、カブキ座、天賞堂、昔の天ぐ草煙のあと、三越、白木や、松屋呉服店、三井銀行、日本銀行等を見て須田町より電車にて江戸川に帰る、湯に浸り、川で遊ぶ小舟を???帰宅、茶を呑み話をして寝たり。

十九日降りかと心配だから傘と足駄で出発が七時半中野で飯を??して今日ハ電車で雷門まで行き門前で下車して吾妻橋に至り隅田川の墨堤葉桜を遠く望み舟にて廊橋を過ぎ両国橋にて上陸、橋を渡りて角力常役場の壮大なるパノラマ式建築を見る、更び、舟にて吾妻橋に帰り雷門を通って觀音様五重ノ唐公園をぐるゝゝ廻って御望みの吉原大門櫻女郎見物、?名を聞く程大きくないので一驚せり、色々と吉原の話も聞いたりして吉野橋より電車にて上野公園前にて下車、御山に登り、白虎隊碑、西郷銅像、東照宮、動物園、不忍池、弁天様、觀月橋、博覧會ノ残築物等、精?見聞きして動物園??感賞せり、切通し岩崎家より湯島天神参拝して本郷座、入澤博士宅の横を通り神田明神を詣り順天堂病院裏を通り電車にて江戸川に帰宅せし。

二十日中野を出て外堀をたどり士官学校、東宮御所を拝観し赤坂見附より電車にて高輪泉岳寺四十七士墓、木像寶物等を見、更び電車にて深川の水天宮にて下車し徒歩にて明治座の前を通り濱町を通りて近衛聯隊前なる北白川銅像を仰ぎ見て徒歩にて九段坂觀工場に入り江戸川を帰る。
「この日、大関氏の送別會ありて友人重実金三郎君???の労を取る」
『目 録』
 宮城、東宮御所,濱離宮(但し離宮ハ愛宕山ヨリ)
『銅 像』
北白川宮、楠正成、西郷隆盛,大村益次郎,川上大將、品川子爵,後藤象二郎
『橋』
二重橋、お茶之水橋,日本橋,京橋、どんどん橋、吾妻橋、廊橋、両國橋、新橋、観月橋
『神社佛閣
東照宮、四十七士の千岳寺、浅草觀音、芝霊廟、水天宮、湯島天神、神田明神、増上寺焼跡、ニコライ、不忍弁天
『門』
芝の大門、桜田御門、馬場先御門、浅草雷門、吉原大門
『川』
隅田川、江戸川、
『公園』
日比谷公園、芝公園、浅草公園、上野公園、愛宕山、動物園、時計や呉服屋、銀行、日本銀行、三井銀行、三越、白木屋、松屋、いとう、天賞堂
『芝居小屋』
かぶき座、本郷座、明治座(横を通りしのみ)
『病院』
順天堂、金杉、佐々木、入澤
『建築壮大』
議事堂、公使館、海軍省、裁判所、司法省、参謀本部、陸軍省、銀行、角力常?館、博覧會ノ残りもの、士官學校
『高台より見下し?場』
ニコライ,上野、湯島、愛宕山、明神、九段坂上

以上、ここまでで「みやげ話」の記録は終わっております。
なお文字が赤と黒になっていますが原文をできるだけそのまま正確に記しております。
さらに文字は旧漢字を使われておりますが一部現在の使用法に替えてあります。

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